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2011年3月3日

酒暦のレポート開始

今月より、皆様にウィスキーやシェリーについてもう少し深く知っていただきたいという思いから様々な洋酒について記事を書いていきたいと思います。


本来ならば「シングルモルトスコッチウィスキー」から始めるところなんでしょうけど、ここはひとつバーボンから始めさせていただくことにいたしました。

不定期になるとは思いますが、一読していただけると幸いです。



Maker’s Mark



お馴染の赤い封蝋が特徴のメーカーズ・マークですが皆様、このメーカーズ・マークの蒸留所の事やどのように作られているかご存知でしょうか?

封蝋の垂れ具合で、誰がこの蝋をつけたのかがわかるというのは有名な話ですが、もともとこの封蝋をつけるきっかけになったのはなにかご存知ですか?

今回は、モルトは少しお休みさせていただきましてこのあまりにも日本では有名になったメーカーズ・マークの事を少し書くとします。


1、 メーカーズ・マーク誕生まで メーカーズ・マークは、1780年にペンシルバニアの市民軍であったロバート・サミュエルズが軍をやめ、ケンタッキーに移って農業とウィスキー作りに専念した事から始まります。この当時、ケンタッキーはまだヴァージニア州の一部で、州政府は山を越えケンタッキー・カウンティを開拓する気のあるものには400エーカーの土地を提供し、とうもろこしを作っていいというお墨付きを出した。


スコティッシュ・アイリッシュの移民たちはこぞってケンタッキー地方入植した。収穫したとうもろこしよりも、貯蔵や運搬に便利でお金になるウィスキー作りを彼らはいい儲け口として農業の傍ら酒造りをしていたという。 サミュエルズもその一人だったといえる。


その後ウィリアム・サミュエルズの代になり父の代を継いだが、その息子であるテイラー・ウィシリアム・サミュエルズの代になると、ネルソン・カウンティの中で最も広大な土地の所有者になっている。

1844年に彼は、家内工業的酒造りを本格的な商業ディスティラリーをディーツヴィルではじめた。当時すでに1万4千樽分のウィスキーが熟成庫に眠っていたという。1866年にその子ウィリアム・アイザック・サミュエルズもまた名士として、ネルソン・カウンティの様々な組織の長となっている。またその子であるレズリー・サミュエルズは1920年の禁酒法により蒸留所を閉鎖されるまで酒造業をつづけ、1933年に禁酒法が終わりディーツヴィルで蒸留所をT・W・サミュエルズ・ディスティラリーとして再開させた。

第二次世界大戦中、レズリーの息子ビル・サミュエルズ・シニアは、戦時中に酒造りを中止していた同蒸留所を売却してしまったという。だが、ウィスキー作りを忘れられず、ビルはロレットにあった「ハッピー・ホロー・ディスティラリー」を買い取り「スター・ヒル・ディスティラリー」を始めた。ビルは、蒸留所を再開させるとルイヴィルにある「オールド・ファッションド・ディスティラリー」にバーボンウィスキーの製法を学び、また原料に粗い味わいを出すライ麦を冬場に収穫できる小麦に変えソフトで柔らかいが風味たっぷりのバーボン・ウィスキーを生み出そうと試みた。

オープン・リックの熟成庫を取り入れ、しかも手間のかかる樽の循環を人の手によって行っていて当時では珍しく6年の熟成を設定したいたという。これがメーカーズ・マークの誕生した経緯である。


2、 メーカーズ・マークの影の立役者 メーカーズ・マークの名前を語るには、まずビル・サミュエルズ・シニアの妻であるマージー・サミュエルズの趣味から語らなければならないであろう。 マージーは、古いイギリス製の白目と銀製のマグカップをコレクションをしていた。その手作りのマグのそこには、メーカーのマークが刻印されいた。新しいウィスキーの名前に迷っていた夫妻は、その製造者の誇りを意味する刻印「メーカーズ・マーク」という名を、自分達の愛するウィスキーにつけたのである。


そして、メーカーズ・マークのボトルの形も妻の彼女の趣味であったコニャック・ボトルのコレクションからヒントを得て、人々がボトルの形によって中身の質を推し量ることに彼女は気づき、それまでのバーボンにはなかった形のボトル・シェイプを提案した。 そして、今ではメーカーズ・マークの特徴となったあの赤い封蝋も彼女のアイデアであった。科学を学んだ事のある妻マージーは、ジャムやフルーツの瓶詰めを蜜蝋で密封する事が中身の品質をもっとも保証するということを彼女は知っていたのだ。 そして最初に赤い封蝋をつけた試作品は、サミュエルズ家の台所で彼女の手によってつけられたのだ。




 3、 ラベルのマークに込められた決意 メーカーズマークのトレードマーク。“S”はサミュエルズ家の頭文字。“IV”は1840年に商業を目的にT.W.サミュエルズが蒸留所を創設してから、ビル・サミュエルズ・シニアが4代目にあたることを意味し、星のマークはメーカーズマーク蒸留所のある場所、スターヒルファームを表している。

また、まわりを囲む円はサミュエルズ家の酒づくりの歴史を表したもので、円が途切れている部分は、禁酒法施行などのために一時生産を中断していた時期があることを示している。





 4、 ゆっくりと歩んできたメーカーズマーク 1959年秋、ケンタッキー州バーズタウン郊外のちっぽけな蒸留所で産声をあげたメーカーズマーク。当時、手づくりによるプレミアム・バーボンなど前代未聞のこと。誇り高い「製造者の印」を掲げ、全米はおろか世界のウイスキー市場で真の評価を勝ち取るという高い理念に満ちていたが、小さな蒸留所にとってマーケットを開拓することは至難の業であった。



しかし、「メーカーズマーク」というブランドの評価は、ごく自然にゆっくりと人々の間に浸透し始め、いまやプレミアム・バーボン界の頂点を極めるまでに成長した。その名声を育んできたのは、はからずもメーカーズマーク社が“ファミリー”として大切にする顧客一人一人の口コミであった。アメリカで一番小さな蒸留所であるメーカーズマークは、資産の限られた小さな企業だったため、創業当初の営業はもっぱら地元を中心に行われた。マーケティングの予算があるわけではなく、広告や販売促進に回す資金などはゼロに等しかった。しかし、「資金的に恵まれていたとしても今日の結果は同じだっただろう」と、現社長のビル・サミュエルズ・ジュニアは云う。

メーカーズマーク創業者で父親のビル・サミュエルズ・シニアは、丹精込めて芸術的といわれるほどに仕上げた作品(製品)を、商業的な戦略で売り込むことを潔しとしなかった。彼は「上質な製品にはおのずから結果がついてくる」と信じており、その信条を頑として曲げなかったのである。したがって、メーカーズマークはビル・サミュエルズ・シニア個人の人脈を通じて、口コミでその名を知られるようになった。まずは、ケンタッキーの競馬場に集うごく限られた人達の間で徐々に人気を集め始める。そして、そのまろやかな味に満足した人々を通じて、バーからバーへ、友人から友人へと広がっていった。こうしたビル・サミュエルズ・シニアの信条はメーカーズマーク社のポリシーとして今日まで一貫して守り続けられている。時代とともにマーケティングの手法は変っても、飲み手に直接働きかけ、その絆を大切にする考え方が変ることはない。手をかけ、特別につくりあげたメーカーズマークにふさわしい販売方法である。現在も顧客の大半の人々は、友人に奨められてメーカーズマークを飲み始める。広告も以前より増やしているが、メーカーズマークを知ってもらうには口コミが一番という姿勢は変らない。ビル・サミュエルズ・ジュニアも、多くのメーカーズマーク・ファンとの交流を大切にしている。世界中で人々と交流し、ファンの意見に熱心に耳を傾ける。こうした人達を彼は“ファミリー”と呼び、大切に扱う。それが父親から譲り受けた教えなのである。

Posted by BAR NO’AGE  at 11:47 │連載